会報302号 巻頭言

波の行方                  堤 美代

 

 風が立つたびに緑の陽射しがテーブルにこぼれた。小さい紅葉が幾重にも重なり合って風に揺れた。沼の水面から吹いてくる風が木の間をくぐってブラウスを青く染めた。風のたびに、小さい沼の水面に漣が寄った。波は、水辺の葦の根や水草を分け、岸辺の紅葉や朴の木や、礫の木の根方に寄せては消えた。
 今年初めて、田んぼに稲を植えるのを止めた。生涯で初めての田植えをしない六月。水無月。生まれてこの方、ずっと百姓だった。
 大変な決心がいるのではないかと想像していた事柄が、あっけない程簡単に止めることになった。止めざるを得ない条件がいくつか重なってしまった。長い間の減反を辛抱しながらの米作りだった。私たち百姓は、ずっと以前から政治(まつりごと)からの完全な棄民なのではないかという想いを抱きながら米作りをしてきた。日毎に荒れてゆく田畑の減びを予感しながら。
 合理性、近代化、利便性優先の名のもとにこんなにも、私たち百姓は気づかぬ内に、ほんとうの田畑から遠く離れてしまっていた。
 何百年も何十年も、泥田を耕して緑の苗を植えた六月。籾種を祈るようにして蒔いた五月。土を運んで田を平らかにした。草を取り、水が漏れないように土の土手を塗りかためた。泥田に足をとられながら、一本一本、苗を植えた。汗が乾く間もなく懸命に稲を植えた。秋に稔る稲の穂波を思いやって泥の田に稲を植えた。この作業は親戚中の田植えが終るまで続くのだった。夜にはつかれ切って泥のように睡った。
 美しく水の張られた田んぼに整然と苗が立ち並び、日毎に茎の緑が地面に根づいてゆく。青い空が映る。苗と苗の間をくぐって緑の風が吹き抜ける。この風に、この苗のみづみづしい水田のために昨日までの労苦が背負えたのだ。秋には、豊かな稔りを約束する信仰にも似た予兆に胸をふくらませて。
 六月の水面を渡って、苗のそよぎと共に燕が運んで来る風は、累代の、父祖たちが躰に育んできた百姓を生かす風であった。その風と出会える喜びを孕んで百姓たちは質実な暮しを生きてきたのだ。苗の緑の風は無意識の目裏に灼きついている原風景だった。稲を植えず田を耕さないということは、父母たちが胸と身体に灯しつづけた慈しみと育みの生の宝を捨てるという事だった。
 増え続ける草茫々の荒地を前にして、言葉を失う。もうこの先には行けない。私たちは、何処に行こうとしているのか。何処から来て、何処へ。
 梅雨に入った。小さな沼に魚がいるらしい。沼の中の魚が水面に近づくたびに波紋が広がった。小さな魚には小さな、大きな魚には大きな波紋が広がった。風が吹くたび水面に漣が立った。葦の岸辺を分けて、水草を分けて、朴の木や、紅葉の根や、礫の木の根の奥へと、漣が立っては消えて行った。
(会報302号より)