原田道子評論集

『詩の未来記』を読む         川島完

 

 歯応えのある詩論に出会え嬉しかった。I章の論考、Ⅱ章の〈森のばぁば〉とはずがたり、Ⅲ章のエッセイ・書評他に構成されているが、これらは原田の「詩と生」に対する座標の提示と見てよい。というのはⅢ章の各詩篇をとおして「詩とは何か」を論究しつつ、本書の比重たるI章に素の気構えが、窺えるからだ。つまり「3 ・11」を透した危機感の普遍化だ。詩人の感受性が鋭いとは、世間が勝手に認識しているだけで、そんなことは詩人自身が知っている。こんななかでの原田の態度は、やや抽象的でありながら主体性をもって、問いつめている。その言辞を拾えば、次のようになる。
 「〈新しい皮膜〉に傾斜すれば、個の孤独に陥り、〈古い皮膜〉に傾斜すれば、ただ生きるための集団の闘争にかりたてられる」
 ここで〈皮膜〉について説明が要るかも知れない。が、「如何にして」と問う手前で既に行きづまっている現実を知っているわれわれは、原田の痛みを共有できることのみが、いまの「生」を支えているように思う。
 Ⅱ章の「森のばぁば」と「森の主」は、異界(非現実)と現実ととってもいいが、ソクラテス法と見立ててもよかろう。彼は間答を通じて帰納的に一般原理を会得させようとした。現代人の原田はそこに常情が見えるのが面白い。むしろ弟子のプラトンの対話編に似ていまいか。しかしこれらを、かい摘まんで云々するのはむつかしい。原田の論旨の切尖が単体ではなく、重層性をもっていてさらにエピツクに包まれているからである。たやすく問いかける行為は、根の浅い樹木のようでしかない。それでも、賢治の「永訣の朝」に連なる「銃・病原菌・鉄」は、否定からはじ
まっていない連立方程式だ。ここまで来たとき、かつて菅谷規矩雄が、「詩は〈論理〉を放棄した。中心なき周辺をひたすら拡大するものとなった」と慨嘆したのを思い出した。だからといつて詩への論理が枯渇しているわけではない。詩論はたえず欠如と希求に目を注ぎ、地下水のように生きている。でなければ、今度の原田の行為は救われない。

               、、、                     い
 さて、原田がいみじくも『詩の未来記』(傍点は筆者)と命名した理由は、〈本来「美しくも」であるはずのヒトという種はどこで壊れていつたか。・・・ あらたな変容も、そろそろあっていいのでは…〉(「あとがき」部分)に、確固としてある。彼女がどのような場所に、どのように立っているのかの存在様態は、まさに本書で示している。ニヒリズムでも慰籍でも悲鳴でもなく、これはまっとうに向かう、濃密なテクストと思うほかはない。
( 17/2)

(会報300号より)

 


柳沢幸雄詩集
「植物図鑑」を読んで      青木幹枝


 柳沢さんは、「詩」を書くことを呼吸と同じように、生きるために誰よりも必要としている。アール・ブリュットではないが、法則性と恣意性の紛らわしい混合、と同時に人を不安にさせる。書きつつも書いた字や書くために考えたその考えに誘発されて、いろいろなことが拡散的に頭に去来している。
「書くことはその去来したものを適宜挿入したりしながら、基本的には一本の流れにまとめあげることだが、書くという経験は結局書かれなかったいろいろな去来した考えを経験することなのではないか」
                             (保坂和志著『試行錯誤に漂う」)
 書く言葉は、たぶん彼をいつも救ってくれて、味方してくれて、言葉を使うという意味では、「詩」の上では虚構の作り手として、誰とも同等である。つまり彼はそれを謳歌している。特に後半から饒舌に語り出す。「恋」「夢」「時間」「幸福」「普通」「秘密」「切ない」などの言葉は何を束ねているのか。その壁がいつまでも私たちに厚く立ちはだかっている。
 それは「恋」や「夢」だったんだろうか、とか「幸福」「普通」はそのたびに尺度も解釈も異なる。その中で「悲しみの絵の具」
私の周りにある悲しみは/私自身/気が付かないでいる/ある日悲しみは/黒い壁に染みとなっていたが/黒い染みは/黒い壁に寄り添って生きている

 

「寄り添って生きている」この言葉はお似合いだと言っているのではない。どうしても消えない染みなのだが、
悲しみの絵の具を/黒い壁に塗って見ると/心の染みとなって/刻まれていく


 消そうとして擦るともっと広がるのではなく、悲しみの絵の具を塗ってしまう。どうしても悲しみの絵の具を塗って見えない心を、見えないと思い込む必要があるのだ。
 「心の闇」を明らかにせよと人はいうが、明らかにしたものはもはや心の間ではない。
見えない心がある/見えない心は/私の過去
 現在 未来に/浸食していた/どうしても超えられない/切なさからの一歩先の世界

 

 人は頭の中だけで考えるが、字にして書きながら考えるのは頭の中だけで考えるのとは違う。まず思うのは自分が書いた字によって自分の考えが書く前には考えていなかったずっと先の方に引っ張られる。書くとそういうことが起こり、始めに書いたように、いろいろなことが拡散的に頭に去来する。
 彼は作品というピースを彼が生まれかわるための殻の一部にするように、自分という宇宙の周りに貼って殻の再生をしているのかもしれない。

(会報300号より)

 


大橋政人詩集『まどさんへの質問』
 詩集を読んで思ったこと         金井裕美子


 この詩集は、大橋さんの十四冊日にあたる。第一詩集『ノノヒロ』からおよそ三十五年。ゆるやかに変化し続けてきた大橋さんがいる。―― と書いたところで、はたと筆が止まった。紛れもなく大橋さんでなければ書けない、詩
人。大橋政人の詩であり、確かにそこに”い”る。それなのに、”いない″と、感じてしまうのはなぜか。喜怒哀楽といった感情を意識的に外しているからなのだろうか。自己表現とか、詩とは何か、自分とは何か、主義主張といったものから遠い所で、物の芯を突こうとしているからなのだろうか。私はまだ、この「なぜ”いない”と感じてしまうのか」に、答えらしい答えを見つけていない。このことについて、もう少し考えてみたいと思っている。そういえば、この「感じ」は、まど。みちおさんの詩を読んだときにも感じる不在感と同じ類の「感じ」である。
 まどさんといえば、詩集『まめつぶうた』の「はじめに」の中で〈私は私に不思議でならない物事には何にでも無鉄砲にとびついていって、そこで気がすむまで不思議がるのです。〉と言っているが、どうやら大橋さんにもこの「不思議がり」の傾向があるようだ。不思議がりながら、気がすむまでよく物事を注視している。カリフォルニア・ポピーを、玉蜀黍の葉っぱがバタバタしているのを、U字溝の上に腹這いになっている少年を、顔を、人間を、歩くを、縫い目のなさを。そして、注視することによって、日の前の事物だけがスポットを浴びたように、世界の中に際立つ。それら事物の本性を、新たなものの見方を、大橋さんは独自の感性で掴み取ってきたのだ。これからも大きな問いに飲み込まれたまま、空にプカプカ浮いている問いを賛嘆の言葉に変えながら、現代詩というくくりから抜けて、「詩」そのものをみせてはしい。小さなものの中に世界を感じたとき、読者もまた大きな問いに飲み込まれずにはいられないだろう。

 

 天衣無縫

 という言葉の

 そのオソロシサが

 この年になって

 初めてわかった

  ネコは

 天衣無縫だから

 天衣無縫である

 

 本体と動作

 静態と動態

 オソロシイことに

 二つの間に

 どんな縫い目もない
     (「天衣無縫」より)

 

 ネコをひっくり返してあっちこっち点検しただろう。動きを注意深く観察しただろう。ネコにはとんだ迷惑な話だが、おかげで私は天衣無縫に驚いて、ヒトもまた天衣無縫、さらに、日に見えるものと見えないものの間もつながっている、そんなことも思ってみた。
 大橋さんは、この詩集で、第十二回「三好達治賞」を受賞された。この詩集が好きな私 としては(自分のことではないのに)とても嬉しかった。心よりお祝い申し上げます。

(会報300号より)

 

 


井上敬二詩集『答えのない季節』
いまだに答えを探している        中澤睦士

 

 この詩集の作品それぞれは、どれもが往年のテレビやラジオから流れていた番組、もしくは歌をモチーフにしている。中には平成の現在まで続いているような長寿番組もあるが、全般に渡る基本は、紛れもない昭和である。

 作者の井上敬二さんは、私の2歳年上であるが、所謂同世代と言っていいだろう。詩集の冒頭は、私や井上さんが子供の頃、楽しみに見ていた特撮ものの代表格である「ウルトラマン」、ならびに国民的長寿アニメの「サザエさん」で始まる。次いで、詩作品のタイトルは番組そのものではないものの、「ドラえもん」、「アタックNo.1」、「巨人の星」、「エースをねらえ」、「鉄腕アトム」、「あしたのジョー」、と名作アニメのテーマ作品が続く。そして、アニメに替わって、札幌オリンピック、プロ野球の長嶋一茂選手、その父親であり同じくプロ野球の長嶋茂雄選手、東京オリンピック、名作ドラマの「雑居時代」、特撮の「魔神バンダー」を経て、ヒット曲である「心の旅」、「北の宿から」と続き、フオークの名曲「神田川」で本詩集は幕を閉じる。
 これら作品が発表されていた頃、メディアの多様化した現代とは異なり、友人達はみな同じ番組を見ていた。そしてそれが、一日のなによりの楽しみであり、拠り所であった。
 そもそも、これらの作品が制作された頃は、当然ながら現代よりもあらゆるテクノロジーが未発達の時代だった。映像で言うなら、それこそ特撮といえども現代のような卓越したCGなどなかったし、音楽で言えばシンセサイザーなどもまだ普及していなかった。しかしそこには常に、その環境においての創作者の熱意があり、同時に受け手の期待とそれに勝る感動があったのだ。それゆえ井上さん自身、この詩集を「オールディーズ(古き良き作品)のようなもの」だと述べている。
 それを思うと、どうしても懐かしさだとかレトロといった言葉に思いを馳せてしまいがちだが、井上さんは決してそんな漠然とした甘さでこれらの作品を書いているのではない。あとがきに書かれているように、井上さん自身、これらの番組に答えが得られていないのだ。つまりは、懐かしむどころか、平成のこの時代に、それらの作品をあらためて持ち込んで答えを探しているのだ。なにより、忘れていけないのは、その間に「親しい人たちとの別れが繰り返された」(あとがき)ということだ。噛みじめれば涙が出そうにもなる。
 詩が詩であるために、井上さんはこれからも詩を探しつづけるのだろう。生きるということはそういうことなのかもしれない。
 できるなら自分にとってもそうでありたい。そしてその生き方自体がまた詩だと思うのだ。

(会報299号より)

 


柳沢幸雄詩集
『僕はマネキンに恋をする』を読んで  小野啓子


 この詩集は表題の通り「僕はマネキンに恋をする」と言う独特の詩群Iと、十三歳で自殺をして未遂に終わった時から今に至るまでの心情が綴られているⅡで構成されている。全編を通じ、孤独の中で生きることの意味を求め続ける、苦しみの悲鳴が聞こえてくる。
 Iは、人の息遣いや優しさなど愛の温もりを探し、マネキンに近づいていく姿をバーチャルリアリティ(仮想現実)的な感覚で描いている。心の奥底では、それはあり得ない現実であり、求めるものはそこに無いと分かっている。それでも、わずかな期待を求め自分の理知を押し隠しつつ暮らしを続ける。そして最終的に結論付ける。「マネキンは僕自身の見えなかった部分であり/僕自身の憧れや叶わぬ夢であったりもする」(「僕はマネキンに恋をする6」)と。
 Ⅱにページを移すと、作品内容はがらりと変わり、現実を見つめる眼になる。首を吊ったその瞬間から死が、十三歳の僕がいつも隣り合わせにいて日常の不意を突いて出てくる。
 心臓が/心が/手が/体中の恐怖が/増え始める/この時に/私を苦しみ始める/打ち消さなければ/この時間の終焉はない/ (中略)/私はこの戦いに勝たねば/この物語の/芝居小屋での/解決できぬ一件に成り下がるだけだ(「芝居小屋のある風景」)
 最終的に、そう自分自身で悟っている。だが分かっていても、それは簡単に解決出来ることではないと、経験のない私でも理解出来る。過去と現在はどこかで切り捨てることも消すことも出来ない。ただ、その時間を「時間にも若さがあり/老いてしまった時間もある」(「透明な時間」)
「こんなにも時間が透き通っていたことに気付いたのは」(同)
そう感じてしまうのは繊細な感覚を持っているからこそだと思う。
 何かで聞いたセリフに「心がなければ、思いに惑わされずに済むはず」と印象に残った言葉があるが、人は「思い」に揺れながら生きるものなのだろう。そして、その「思い」を抱いて生きることこそが、魂の成長であり、生きることの理由・目的なのではないか。生きる上で意味のないことなど何もないと感じる。そして「僕は死にたくない」「いのちの重責を感じながら 生きていく」(「いのち」)と本心を語る。
 その言葉に安堵しながら、きっと充実した日々を暮らしているのだと思う。
 詩は全般に饒舌なため、緊張感が途切れがちになるのが気になるが、改善されれば伸び代になるはず。

(会報299号より)

 


川島完詩集
『細道のアンダンア』      神保武子


 詩誌『東国』で富沢智さんが、装慎がいい。センスもいい。ちょっと妬ましい。と称賛していたえぽ叢書シリーズの一冊。カジュアルながら品のある装頓は、たしかに羨ましさを覚える濡洒な詩集です。
 毎月の新聞連載のために執筆した作品をI春からⅣ冬まで、四季に区切った編集も成功したとおもいます。
 詩集のタイトルは、収められた作品群のなかから選ぶことが多いのですが、日次を見ても同名の作品はありません。なぜこの詩集が『細道のアンダンテ』と名付けられたのかその意味を探りながら読みました。
 人の歩く道は/どうして斯う 曲がりくねるのだろう/ (と問いながら最終連で) 森のなかでは/時がゆるやかに曲がっているらしいが/だれにも よく分からない/わたしには木々の枝だって/カラスウリの蔓だって 一所懸命/真っ直ぐ延びているように見える// (Ⅳ冬「田舎道」から)
 人は年を重ねて若い頃と違う時間を持つようになります。いっとき戸惑いますが、しかしゆっくり歩いてみるとたくさんの出合いや気付きがあります。川島さんはそこから深い洞察を行ないます。それを詩人として磨いてきた言葉にして見事に表現しています。
 青唐辛子の/夏の朝の沈黙の強さ/ 「朝の儀式」〈砂時計〉は もしかすると/化しさを計るものかも知れない/ 「九月の砂時計」生きていることが/こんなに優しく思えたのは久しぶりだ「コスモスの海」生れも 上州/育ちもまた 上州/多分死ぬのも ここ上州だ「梁塵上州秘抄」むろん 外は厳冬/でも凛としてあたりをはばからぬ冴え「冬薔薇挿話」
 ゆっくりと歩むなかに身を置いてこそ掬いあげることができた視点でしょう。

 

 野水仙の揺れる先には

 いつも海が光っていたという女と

 野水仙が咲く背後には
 いつも里山の疎林があった男が

 台所の食卓の端と端で

 もう四十年も一緒に食事をしている

 

 かつてここには六人の家族が向かい合い

 病があり 盆正月の賑わいがあり

 葬儀があり 結婚のあたふたがあり
 いま ちょっと大きめに見える食卓の上に

 一輪挿しの乙女椿の白い花木がぽつんと立ち

 間延びした時間が漂っている

 海の請言に酔う遠い目の女を

 山育ちの男はただ見つめるだけだ

 

 食卓に並ぶ海の幸も里の幸も

 追憶と予言を抱えもっているから

 女と男はそれらをつぎつぎに食らうことしか

 今日を証すすべはない
             (「食卓」全部)
 女と男の今は共に食らうこと、四十年それを続けた今知る。という面白さはアンダンテの歩みでこその気付きではないでしょうか。

(会報299号より)

 


伊藤信一詩集
『藤原定家のランニングシューズ』
走り出すことで感じたいのちと      内田範子


 人の一生が歩みだとすれば、マラソンやジョギングもまた歩みである。その意味でこの詩集も彼の生を鮮やかに顕現する。詩集は第三詩集であり、第一第二詩集でよい味を出していた作品は走り出した感がある。趣味の走ることも然る事ながら、作者も走ることで身体が掴んだ大地を大きく展開させた。世界が広がり、空気や風やその後ろの存在例えばいのちも肌で感じたのではないだろうか。研ぎ澄まされた感覚は鋭さを増した。彼の依代は古典に裏打ちされた新しい詩的表現形態の実験だろう。作者はその実験を面白がっている風がある。その余裕が心憎い程だが、古さと新しさの間を繋ぐ詩情が健在だ。詩集では走る前と走り出した後の作品を上手にミックスさせ違和感のない構成となっている。詩的表現形態としての実験詩を三編上げてみたい。

 

 「藤原定家のランニングシューズ」

 

 高崎を走り抜ける定家の背中を追いかけて
 鳥川にかかる君が代橋を渡る
 (中略)
 この街に歌の不在が続く

 まだ夢の浮橋ではない

 「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」

 

と、次の二連から七連まで一連と同じに続くのだが、連ごとの短歌がまた平明で楽しめる。七連目の終連は、定家神社へと繋がるのである。「桜色の庭の春風跡もなし訪はばぞ人の雪とだに見ん」と人の訪れを待っている寂しさと終る寂蓼感も見せてよい筋立てで物語的面白さを楽しめる。


 「うるふ月」

 

 電源の切れたコンピューターディスプレイに

 自分の顔が映っている

 不意に

 うるふ三月

 (中略)
 シロツメクサの広がるあぜ道の先

 光の粒はじける水面の下

 切れのあるハヤの動き
 二回目の弥生

 うるんだ空に

 ひとつまたひとつ

 桜色の風船が逃げていく

 ひとつまたひとつ

 破かれる一日

 

 引歌は行方不明

 声の体温は低下して

 朗唱は細く長く続く

 うるふ三月

 春のパスワード一ダース


 「桜の本のない図書館」

 

 さくらは見えない

 公園にさくらはない
 (中略)
 当館は例年通り、本日よりしばらくの間、蔵書の桜点検のため休館いたします
 桜襲(さくらがさね)の直衣(なほし)身に着けた都人ひとり
 図書館の張り紙の前で力なくうずくまる

 

 五連で構成されている作品だが、二連目で納得する。ないことはあることの比喩的表現と分るから。終連もいい。
 他の作品でも作者の詩的イメージは豊饒だ。「紅旗征戎吾事に非ず」と明月記の最期に記した定家に作者が重なるように思われた。

(会報299号より)