近況寸感       城田博己


 この原稿を投函しようとしていた前日、12月14日に衆院選挙があった。庶民にとっては、唐突で年末に来て迷惑なことであったのか、投票率は52%台、過去最低であった。二人に一人は選挙に行かない。その結果、小選挙区
では、有権者の25%の得票で75%の議席を自民党が独占するという現象が生じた。民意とは何なのか。小選挙区という制度に欠陥があるとしか思えない。
 とは言っても、結果として自民党安倍政権は、「特定秘密保護法」「集団的自衛権法」「共謀罪法」、そして、選挙後公言して憚らない改憲への道を一気に推し進めようとしている。戦後70年間、現憲法下で辛うじて守られてきた平和が脅かされようとしてしている。今後どういう事態になるのか、投票した人も、しなかった人も等しくその影響を受けることは間違いない。
 すべての人が影響を受けると言えば、地球上のあらゆる生きものが影響を受ける大問題に「地球温暖化」がある。昨今世界中を覆っている異常気象、大雨・大雪・早魃、農作物や生態系への被害、このまま行けば地上の生物、勿論人類の生存さえ危ぶまれている。
 日本に於ても、阪神・淡路の大震災、東日本大地震と大津波、東京電力福島原発の事故、広島での土石流災害、相次ぐ火山の爆発、局地的な集中豪雨、豪雪、一見自然現象にも見えるが、果たしてそれだけだろうか。
 「憲法」問題にしろ、「地球温暖化」にしろ、ここ数年の私たちの暮らし方に関わってくることである。また、将来最もその被害を受けるのは、子や孫の世代である。
 私たちは今、小さな地域ではあるが、志ある人々と環境問題を考える集りを25年間続けている。さらに、子どもたちとの活動の場もつくり20年になる。大人と子どもが一緒に、「地球温暖化防止」について学習したり、春は地域の自然にふれるハイキング、夏は近場の山でキャンプ、秋は地域の川の調査、冬は雪山スキーやトレッキング、その他地域行事やレク活動などに取り組んでいる。土・日はほとんど地域で子どもたちと過している。忙しいやら、楽しいやら、一寸した野外教室である。
 子どもたちとの活動の中で、食生活と健康のことが心配になって “農業は、地球と子どもを救う” をテーマに、食育・食農についても取り組むようになった。学校近くの体耕畑を借り受け、草を取り、土を耕し、堆肥を入れ、子どもたちと無農薬での野菜づくりを始めた。15年間耕し、今では立派なエコ農園、四季折々20種類以上の旬の野菜を収穫している。農業は、喜びも大きいが苦労も多い。この国では、詩作同様、農業も報われない。
 しかし、日々育つ作物と集まってくる子どもたちの成長を見ていると、私たちの平凡で不安に満ちた日常に、優しい光が当てられ、老いていく日々の救いでもある。超少子高齢化が進行する中で、子どもたちを大切に育て、その健康と平和を守っていきたい。
 曲がりなりにも詩を書き始めて60年近く、詩誌『夜明け』の創刊や諸詩団体に関わって50年、「田を作るより、詩をつくれ」の生活から、今や「詩もつくり、田も作れ」の日々が目の前にある。     
(2014.12.15)


   収穫         城田博己


草を抜く
土をどかす
両手をつつこんで
思いっきりつかんでみる


ちっちゃな掌に
黄色い宝石のような
泥つきのジャガイモが
いつぱい


子どもたちの農園で
二月の風に身を屈め
北海道産の種芋を半分に切って
灰にまぶして植付けたジャガイモ


暑くなった陽射しの中
子どもたちの汗が弾ける
笑顔の明日が続くように

輝っている


(会報290号より)


関係者の皆様へ ―中間報告ー
                 木村和夫


 私はいま、群馬の、そして前橋の子供たちに詩を作ってもらうための広報活動をしています。この群馬には萩原朔太郎という日本一偉い詩人がいて、その他にも大手拓次、平井晩村、山村暮鳥、萩原恭次郎、東官七男、横地正二郎、高橋元吉、岡田刀水士、伊藤信吉といった、日本を代表する個性豊かな優れた詩人たちがいました。これほど多くの優れた詩人たちが、同時代に一ヶ所に集まっている都市は、群馬県の他に例がないことから、群馬は「詩の国」と言われ、そして前橋は「日本の詩人たちの聖地」のように言われました。
 その群馬で、その前橋で、いま詩を作っているのは中高年ばかりで、後継者となるべき30歳以下の青少年たちは、まったく詩を作っていないのです。このままの状態を放置しておきますと、朔太郎時代に築かれた、あの素晴らしい詩の世界が忘れ去られてしまうのではないかという危機感から、私はパンフレット「朔太郎が愛した利根川を行く」を作って、青少年たちに詩を作ってもらおうと考えました。
 その活動の一環として、このパンフレットを前橋文学館に置いてもらい、無料配布してもらっていますが、思うような成果をあげることができませんでした。そして広報活動をして解ったことは、親御さんたちに詩に関心をもってもらえなければ、子供たちが詩に関心をもつたところで、子供たちに詩は作れないと思いました。
 前橋は「水と緑と詩のまち」と言われるようになってから、だいぶ時間が経ちましたが、朔太郎と詩に関心をもっている前橋市民は少数のように思いました。だからと云ってこのまま放っておきますと、「詩のまち前橋」で詩を作るものがいなくなります。それに、前橋以外の都市ならばともかく、詩のまち前橋でこのようなことがあってはいけないと思いました。
 私が七十六年間、前橋で暮らして解ったことは、前橋が日本中に誇れるものは、朔太郎と詩以外にはないということでした。したがって、詩は前橋の唯一の文学であり、文化であり、宝物であり、誇りであるはずなのですが、詩に関わってきた我々がこのことの重要性と、前橋における詩の特異性を前橋の人たちに語ってこなかったことが、子供たちを詩の音痴にしてしまったのではないかと思いました。
  萩原朔太郎は日本一の詩人ですが、中原中也や宮沢賢治ほどの人気はありません。それは仕方のないこととして、このふたりには、おらが中也、おらが賢治、といった地元市民の熱烈な応援がありましたが、朔太郎はどうでしようか。朔太郎を応援している前橋文学館はありますが、その前橋文学館に関心のある人は、ほんの一握りの人たちで、多くの前橋市民は朔太郎にも詩にもあまり関心がないように思いました。それに朔太郎最中や朔太郎饅頭といったようなものは古くからありましたが、それ以上の応援はなかったように思います。
 先日、30年ぶりに前橋を訪れた知人が、「古い建物はみんな壊されて昔を偲ぶものがなかった」といって、寂しがっていましたが、私も彼と同じ気持ちでした。しかし、前橋には昔を偲ぶには十分すぎる日本一の利根川があります。この利根川で朔太郎は沢山の詩を作っています。前橋には故郷を懐かしむような建造物はありませんが、利根川の水の流れは変わっても、利根川の姿そのものは千年前の姿を止めています。これからも前橋の街の姿は変わり続けると思いますが、利根川は千年先も変わることはないと思います。そこで、私が思ったのは、群馬の人や前橋の人たちは利根川を自分たちの故郷として、この美しい景色を見守っていったらいいと思います。
 そして、この広報活動を一過性のものとして終わらせないためにも、朔太郎のこと、群馬における詩のことが永遠に語り継がれる仕組みを作ることだと思いました。すべては、群馬から、そして前橋から詩を絶やさないためです。   

  朔太郎もこのことには大変、心を痛めていて、いずれ詩が作られなくなるのではないか。と心配されていたむきの文章を残していますが、詩に無関心のいまが、そのときだと思いました。
 このようなことにならないために、朔太郎のこと、そして前橋における詩のことを後継者となるべき子供たちに伝えなければなりませんが、そのためには、それを伝える場所と仕組みが必要だと思いました。
 そして、毎日生徒に接している先生方に、朔太郎のこと、詩のことを生徒たちに語ってもらうことが、生徒たちの詩の創作意欲を掻き立てる原動力になると思いました。それに、私も子供たちに直接会って、この話をしたいと思います。

(会報289号より)