「ライラック」によせて
                房内はるみ

 

 この原稿の依頼を受けた時は、驚きと同時に懐かしさがこぼれてきました。それは東日本大震災のあった年、何度か訪れている仙台についてのエッセイを書いたのを最後に六年間も休刊していたからです。
 この個人誌をはじめたきっかけは、県内で同世代の人が少なかったこと。県外で詩を書いていて主として女性で個人誌を出している方や、こんな人とお友達になりたいと思っている方を中心に送っていました。
 創刊は二〇〇八年で、詩が二編、「エッセイ詩」「つれづれなるままに」が収められています。
 ここで「エッセイ詩」という奇妙なものにふれさせて頂きたいと思います。これは朔太郎が散文詩の序文の中で書いている言葉を引用したものです。それによると、散文詩は観念的、思想的な要素が多く、散文詩を思想詩、またはエッセイ詩と呼ぶことができると思う、としています。主として「田舎の時計」や「死なない蛸」「郵便局」等などが収められています。私としてはエッセイのなかに詩のエキスを入れたものとして書きました。
 一号では「さまざまな場所」と題して、蚕糸記念館、図書館、空き地、駅舎、調剤薬局。二号では「さまざまな動作」と題して、拭く、花を育てる、カーテンをしめる。三号では「ものたち」と題して、スプーン、枕。六号では「初夏の一日」と題して、夜明け、真昼、夕暮れを書きました。反応は賛否両論でした。おもしろい発想だから続けたほうがよいという意見と、やはリエッセイと詩は別のものであるからおかしいというものでした。
 それはともかく、私のようなものが、恐れ多くも朔太郎の真似をするなんて、今では深く恥じ入っております。
体調不調で六年間何も書けませんでしたが、忘れずにいてくださる方がいて、嬉しいかぎりです。

(会報301号より)