コレも詩誌なのかしら                 飯田光子

 

 一年に一〜二回発行の「忘れた頃に出る通信」は、果たしていつ始めて何号目になるのか? 無責任な話だが、私は数勘定が苦手な上に整理整頓もできない。ゆるい人生を送らせてもらっている。新井穎子さんが存命なら彼女はきちんとファイリングしてくれていたので、その辺りのことは確認できたろうに。
 「忘れた…通信」の前身は、和文タイプで打った家族新聞「いいださんちのしんぶん」。二葉印刷の内職をしていた頃「水の呪文」や「烈風圏」などの仕事のあい間のタイプライター活用だった。こちらの創刊ならわかる。一九八四年六月一五日。あれから三十数年、子供の絵や夫の文章、その時々の見たり聞いたりさわったりした小さな発見を綴り、詩を載せることもあった。
 「忘れた…通信」として出直したのは、やるならオカン一人でやれ! という時期を迎えたからだ。こちらはパソコン入力だけれど、変わらないのは手作り封筒に切手。一月なら仙台の自松がモナカの包装紙や京都の老松の包装紙で封筒を作っていると幸せだ。しかし、こちらに神経がいってしまうと、昨年だったか中身の入っていないのを送り、相手を悩ませたことがあった。ヤギさん郵便だね。
 発行部数は100部前後、余ったり足りなくなってコピーに走るということもある。A3二つ折り両面印刷で四ページが基本だが、もっと書きたくなって六ページとなることもある。半分位は手渡し、人と会って読んでくれそうだな、楽しんでもらえそうだなと思う人に名刺がわりにしている。郵送分は、家族新聞仲間や友人、詩を書く人ばかりではない。
 通信を続けてよかったと思うのは、交友関係が広がっただけでなく社会と自分への問いかけを断続的であっても持ちこたえたことかと思う。羽生禎子さんと康二さんの発行している「想像」などを毎号読むことができるのも、勇気を出して通信を送ったから得られた喜びだ。共感は力となって、私はどんどん明るくなる。ささやかなことしかできないけれど、フツーの主婦の考えたこと思ったことを一枚の紙に託すって、ちょっと素敵でしょ。

(会報300号より)