いまも心に生きる暮鳥
 山村暮鳥生誕百三十周年・没後九十年    松田孝夫


 暮鳥が没して九十年が過ぎた。けれど暮鳥ほど移り住んだそれぞれの地域のなかで、いまも世代をこえて人々の心に生き続けている詩人は希であろう。
 幼少の頃の不運、晩年の病苦と貧困など、苦悩を超えて生きる者の強さと優しさ、自然や人々への愛を詩いつづけた詩人の生き様に共感するからであろう。節目の年にはゆかりの深い各地で記念事業がくり広げられている。特に生誕百三十周年は、暮鳥の生誕の地・群馬の上毛新聞や旺盛な文学活動を繰り広げた福島の福島民報、終焉の地・茨城の茨城新開の地方紙三社が共同企画『雲と祈りの詩人』の特集を組み、かつてない広範な規模で、暮鳥の人と作品を掘り起こした。各地、各団体の記念事業も精細に報道され、記念事業の集大成として画期的な年であった。
 生誕百三十周年の今年は、生誕の地の高崎市文化協会群馬支部が、市の助成を受けて新しい試みの記念事業を企画している。
 暮鳥の詩碑十五基(うち二基は同一の詩)に刻まれている十四編の詩を英訳して、原詩と併記し、詩碑の写真とともにその地に詩碑が建立された経緯や、詩の解説を載せた小詩集『おうい雲よ』を刊行する。外国の文学に視野を向けた暮鳥にとって斬新な試みである。掲載される詩は、『三人の処女』 から「独唱」、『聖三校披璃』から「風景」、『風は草木にささやいた』から「父上のおん手の詩」と「老漁夫の詩」、『梢の巣にて』から「山上にて」、『土の精神』から「黒い土」、『雲』から「ある時」「梅」「ふるさと」「雲」など七編、『月夜の牡丹』から「月」を、暮鳥の初期から晩年の七詩集から網羅している。大きく詩風を変えた暮鳥詩の特徴も理解されよう。
 この詩集は高崎市内の小学六年生と中学三年生全生徒に配布し、小中学生から暮鳥詩のイメージ絵画を募集する。詩の絵画性を理解する上で新しい試みである。
 八月三十一日には、シンポジウムや、暮鳥詩曲も演奏する群響の演奏、暮鳥の母校・堤ケ岡小学枚生徒の暮烏詩朗読など、多角的に取り組む企画である。
 暮鳥のゆかりの場所も関係者によって整備された。高崎市棟高町の生家が改修保有され、いわき暮鳥会の協力で庭に詩碑が建立された。暮鳥が生涯をとじた大洗海岸の鬼坊裏別荘跡地も、大洗暮鳥会員によって整備され詩碑が建立されている。
 群馬の最初の詩碑も茨城との友好で笠間の御影石が贈られ建立されている。暮鳥を介して、生誕の地・群馬と終焉の地・大洗が「文化友好の町」の契りを結び親しく交流を続けているのも、記念事業が地域を越えて連携して行われているのも、暮鳥が広く愛され親しまれてきた所以であろう。
 今年の暮鳥・文明の命日に開かれる「暮鳥・文明まつり」には、詩作品を高崎市全域の小・
中学生と関係高校生を対象に募集する。
 高崎市や県立文学館、学校、文化友好の町、遺族などの協力を得て、新しい試みがどのように受け止められるか期待される。

(会報287号より)