「榛名まほろば」への感謝から

                     中澤睦士

 

 現代詩資料館「榛名まほろば」のことは、当クラブの会員の方も含め、詩を書いている方なら、知らない人は少ないと思っている。
 同館は、詩人の富沢智さんの個人経営のもと、1998年9月13日に開店した。以来、詩人達の語り合う場所として、貴重な詩集を閲覧できる場所として、著名詩人を招いて講演会や懇親会を行なう場所として、はたまた当クラブの幹事会の場所として、富沢さんはこの場所を提供してくださってきた。
 そのような「榛名まほろば」は、しばしばマスコミにも取り上げられ、先日(2014年4月28日)も日本経済新聞に、富沢さんの農業との併走という意味で紹介されたばかりであった。
 自分は、「榛名まほろば」にはよくおじゃまするし、詩のイベントの際には、だいたい、いつも受付を仰せつかったりしているので知っているのだが、普段もイベントの際にも欠かせないのが、実は富沢智さんの奥さんで、元国語の教師であった富澤礼子さんの存在である。礼子さんのことは、常連の方ならばご
存じだと思うが、その経歴と現状に敬意を込めて、「礼子先生」と呼んでいる。
 礼子先生が作る料理はおいしい。特に農業という生業をバックボーンにした野菜の献立は、サラダをはじめとして、煮物や焼き物、天ぶらに至るまで絶品である。礼子先生は、その料理でこれまでも、訪れる多くの詩人の方々をもてなしてくれた。無論、富沢智さんの料理の腕も忘れてはいけないのだが、幹事会で集まる幹事の方々の昼食の用意も、礼子先生あっての手際の良さであった。
 加えて、「榛名まほろば」での詩のイベントの際には礼子先生の書による立派な看板が出されるし、「榛名まほろば」から出版されている詩誌「榛名団」の表紙も、とみざわまひるの名前でしばしば、礼子先生の写真が飾ってきた。そんな礼子先生のことは言うまでもなく富沢智さんも感謝している。しかし、
「榛名まほろば」がマスコミに取り上げられる際にも、礼子先生のことはまったくと言っていいほど記されてこなかった。それについては、富沢智さんこそ、ご自分の口から御身内の自慢めいたことなど言えなかったであろうし、このたびこの場をお借りして、礼子先生への感謝も含め、自分が伝えたいと思ったのだ。
 しかし、決してこの場で、「榛名まほろば」という私的なお店の宣伝をするつもりはない。これは折に触れ、耳にすることかと思うが、「文学作品を創作することだけが文学活動ではない」という言葉がある。その意味で、礼子先生の存在は、まさに文学活動の一環だと思う。詩人として名前が出なくとも、詩や詩人をこんなにもささえてくれているのはすでに立派な文学活動ではないだろうか。
 加えてそのような方々は、おそらく「榛名まほろば」に関わらず、あらゆるところにいらつしゃると思っている。そんな方々に対し、あらためて感謝の心を持ち直すのは、大事なことと思う。そしてそこにもまた詩はある。