桃     天笠次雄


隣組からの餞別や
衣類と米を背負って
阿左美駅から歩き
たしか戦時特別訓練隊に参加したのだった
七月中旬からの約一ヶ月
笠懸村国民学校の教室かに合宿し
おもな日課が
風草 桑原のあいだを
愛国飛行場とよばれた場所に通った
滑空機の操縦訓練であった
きわめて簡易な構造の初級のグライダーであった
それでも練習の結果
高度ほぼ十メートル距離百メートルを飛んだ


記憶に 細部は失われている
いっそ 早くそうなれればいい
宿舎に帰ると 学習のあと
桃が一個ずつ配られた
飛行場の近辺は まだ桃の産地でもあった
草の匂いが濃く 桃

あとは風位や 八月の空のいろ


鷲の形したアルミの記章をもらって 終了した
十三か十四才の夏であった
風草の花は色だって匂いだって
風のままだ
その秋 いくつかの少年兵志願の受験があり
冬に入る頃から
飛行機製作工場へ動員され
学校には朝夕に寄るだけであった

(会報293号より)



二〇一五夏      松本茂晴


空虚で不毛な議論?が連日続いている
質問者は極力的を外して問いかけ
回答者はさらにはぐらかしに終始し
こんなことを繰り返し
時間の累積だけで事足りたとし
いつの間にか決められた方向に流れていく
何年も何十年も繰り返されてきた
この国のありよう


結論ありきの討論議論
同じ穴の・・・が見せかけだけの
時間稼ぎだけの議論を繰り広げているが
しかし・・・まてよ・・・
あの人たちを選んだのは

自分達であるのは事実であり
どのような結果が出ようと
自らに降りかかる


人間はどんな過酷な体験を経ても
時の移ろいに濾過され
聖水になったような錯覚で飲み干す
苦難や悲劇は忘却の彼方へ
ことの真意はおくとして
一時は戦犯と指名された人の末裔が
いつの間にか再びこの国や人々を
あの時代へ戻そうとしている


今の時代に起きている数多の問題を乗せた
一千兆円借金の泥船は
沈みゆく未来に向かって大海を彷徨
生命や財産を守るため必要と熱く語り
そう語りながら
生命や財産や未来を危うくしている


この沈みかけた泥船から
一番に逃げ出すのは誰か
いずれあなた方は
行く当てのない多くの人を置き去りにし
真っ先に逃げ出すのでしょう


明治維新と言われた時代の転換点から
ずーと百五十年も続くこの国の形
変えることのできない仕組み
苦しくても何があっても
言われるままに我慢して生きていくことが

幸せであると思い込み
破減に向かう泥船に乗り合わせた不幸を嘆き
刹那的な快楽に身を置き
猛暑の夏を寒々と過ごす

(会報293号より)



だいたい十センチ      宇佐美俊子


玄関だけは閉まっているが
家では
もうずいぶん前から
寝室から居間
居間から台所
台所から風呂場
もどって居間から縁側へと
なぜか襖やドアが
だいたい十センチ開いている


これはひょっとして
死んでしまった猫たちの

         あかし
この世にいたという証
猫たちのために
いつも閉め切らずにいたら
いなくなった今でも
そうしてしまう
意識してやっていたことが
いつしかあたりまえの動きになり
癖になってしまった


もう猫はいないのに
今でもときどき
縁側でひなたぼっこをしたり
柱で爪研ぎをしているような
気もする


玄関だけは
ちゃんと閉めてあるから
猫たちはいつまでたっても
出ていく気配がない

(会報293号より)




有明        大館光子


――見ている
空を仰ぐ が その軌道に月はない
頭を軽くふる
白い月が揺らぐ
月は脳裏に懸っている


天童温泉 紅葉館
池の面にも月はある
築山も土塀も それを越えて街並も
しらじらと有明月の下に浮く
四階のベランダに立っている

         あわい
空と水 二つの月の間


あの月が呆れる程の年を経て懸るとは
いや今迄も時にちらちら掠めていたような
「重いものはおろせたか」 と


私の中にしかと根付き

            ・・

今は私を乗っ取るばかりのそれを
知っての上の問いである


東尋坊の岩壁 猪苗代湖の渚 有明海の千潟
落障の中の 日御崎……
重いものを捨てるべく彿得する場は
何時も水のほとりだった


月は 見ていたのだ


いや 月も軌道を外れたかった
だがそれは 人間の彿往と同じく
ただ空しさを追うに過ぎなかったとしたら


月の問いは 自らへの問い
月の白さの
いたわしく


私は日を閉じる
揃えて伸べる両掌に 月を受けて
空へ還そう


ふと思う 一肩の軽さ
明日の有明月に問おう
あの 重かったものの
行方を
(会報293号より)




仮面が無かった時代    関谷 隆

 

藁葺きの家に住み
二階立てのバラックがあった
ツバメが毎年やってきて
芝桜や菜の花が綺麗でした
四つ葉のクローバーのある所がありました
外便所があり 夜は怖かった
ジャガイモを入れる室がありました
今思うと防空壕だと思います

 

リヤカーの轍のある道があり
そこが遊び場でした
竜が降りました
今もあの日の真っ赤な夕焼けが忘れられない

 

蚕を飼っていました
桑切は手が痛くなりました

 

田畑を耕しました
稗抜きが辛かった
田植え稲刈りがありました
如何にして逃げるかを考えました

 

偽りの多い醜い人生だと思う
仮面を被りたいと思う
もう既に仮面を持っているかもしれない

(会報286号より)