浅原才市という詩人

             大橋政人

 

 信仰というものを大概の人は誤解しているようだ。何か、例えば神、さもなければ死後の世界などを無条件に信ずることだと考えている。しかし、信仰とはただ、別々になっているものが、本当は別々ではなかったということに気づくこと、それだけのことなのである。しかし、そのことを身にしみて体得することは実に難しい。浅原才市という詩人は最も純粋な形で信仰に目覚めた数少ない覚者の一人である。
 浅原才市は石見の国(島根県)湯泉津に嘉永三年(一八五〇)に生まれて昭和七年(一九三二)に八十三歳で亡くなった、いわゆる妙好人(浄土系宗教の篤信家)の一人である。下駄職人を続けながら、鉋屑に詩を書きつけ、六十代からの二十年間に約八千篇の信仰詩を残した。例えば自分の〈生〉と〈死〉について、才市は次のような詩を書いている。


 わたしゃ 臨終すんで 葬式すんで
 みやこ(浄土)に心住ませて貰うて
 なむあみだぶつと浮世にをるよ
    *
 才市が臨終
 死ぬる心が死なぬ心にしてもらう
 なむあみだぶつにしてもらう
    *
 これが世界のなむあみだぶつ
 これが虚空のなむあみだぶつ
 わしの世界も虚空もひとつ
 をやの心のかたまりでできた


 唯物論的図式で、〈私〉とはこの肉体のことであると解釈している人たちには全くのナンセンスにしか見えない世界である。才市を初めて世間に紹介した鈴木大拙という禅者は「彼は普通にいう妙好人だけでなくて、実に詩人であり、文人であり、実質的大哲学者でもある」と絶賛しているが、別々だと思っていた〈生〉と〈死〉が、別々でなかったことに気づいた人の世界は途方もなく、まばゆいものになっているのがわかる。
 三番目に引用した「これが世界の…」の詩を読むと、才市の中では自分と虚空(宇宙)が溶け合っていることがわかる。一般には別々だと思われている〈時間〉と〈空間〉も才市の中では溶け合っている。〈生〉と〈死〉の溶け合った世界の光景をそのまま書けば、「臨終すんで 葬式すんで」というほかない。これは、もしかして人類が希求し続けてきた、あの〈永遠〉のことではないだろうか。
 釈迦は「あれあれば、これあり」と縁起の法を説いた。本来一つであったものを二つに分けるのは〈言葉〉の作用である。才市は、〈言葉〉の在り様をとことん突き止め、世界まで突き抜けた天才であると言うほかない。

(会報293号より)