群馬詩人クラブヘの期待      梁瀬和男

 

 群馬詩人クラブの発足は昭和三十二(一九五七)年五月であったので、やがて六十年の伝統を形成する事になる。その期間に、現代詩の様相は時代の文化情勢と共に多彩を極め、群馬の詩活動も詩誌・詩集のさかんな刊行に見られるように、活発化した。いま、個人的に発足時から現在までをふり返ると、様ざまな業績が回顧されるが、ここでは二、三の期待を述べることにする。
 私が日常感じているのは、六十年の間に多くの先達の詩人や、同時代を過した詩友が、すぐれた作品を残して旅立った事である。しかし、私達は現在、それらの人達の作品に親しみ、その遺産の価値に眼を向けているだろうか。また正当な評価と遺産の継承に、詩人クラブとして取り組んでいるだろうか。おそらく、詩人クラブの会員には、それぞれ敬愛する先達の詩人や、詩活動を共にした同志が存在することであろう。私は、そのような回顧や追慕をクラブの場で組織的に発表すべきだ、と思う。それは会報を利用したり、研究会という形で実現できると思う。
 次に感じているのは、総会の折に、県外の詩人による講演会を行っていることである。私はその講演会を県内の詩人が行うべきだと思っている。県内には、すぐれた論客や研究者が少なくないし、それによってクラブの活動の分野が拡大すると思う。私が幹事をしていた時代には、「物故詩人の業績」や「個人の詩的主張」、「同人誌の活動」などについて講演会を年に二回位開催していた。そしてその講演会では、質問をかねた討論も行われ、それが会員間の親交を深める結果にもなった。最後に会報についてであるが、私は会員の自由な詩に関する意見を聞きたいと思う。しかし、限られた紙面だから規定を設けるとか公平な人選のルールを決めるなどして、常時詩の課題を語りあうようにしたい。それらによって会報は充実した内容になるのではないだろうか。また詩の課題の発掘にもなる。
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 現在、会報は、二九五号を数える。この号に達するまで、会報は歴代の編集者と幹事の努力によって発行されて来た。私は創刊号から保存しているが、時に古い号を読むとき、この会報に、群馬詩人クラブの歴史を感じ、多くの編集者の個性を思い出す。また二九五号に添付された名簿を見ると、新しく加入された方が多いのに気づく。それと同時に名簿から氏名の消えた人々を思い浮かべる。すでに他界した人の業績、新しい会員の創造。群馬は「詩の国」と晴一伝されているが、群馬詩人クラブは「詩の国」に恥じない道を進んでいる。ますますの進展を期待している。
(会報296号より)